小山幸子 koyama sachiko

フィルター

個展のお知らせ
インスタレーション作品展 「彩りの端々」

2012年3月12日(月)~3月17日(土)
11:30~19:00(最終日17:00まで)
会場:ASK? P (B1F)

苺とイチゴ飴、マジックミラーと写真を使ったインスタレーション作品二点の展示。
日々の暮らしの中で気に掛かった事柄を疑問として、視覚や嗅覚などを通じ共有を図る。

終了しました。ご来場頂きありがとうございました。

works

フィルター介入する視点(自己)みるということ自己紹介ある年末年始皮脂
フィルター

フィルター

2011年制作
写真、アクリル、他
サイズ可変

フィルター フィルター フィルター フィルター フィルター

絵画や映画など、何かしらの作品やものをみるときに、時間や労力、金銭などを消費する。
ふと作品をみる際に、絵画を保護するガラスケースに写る自分に目がいったり、思考が自分の事柄で満たされてしまうことがあった。
代価を支払ったのならば、然るべき態度で作品に向き合うべきではないのだろうか。
対象のみを純粋にみることの出来ない歯痒さを感じた。
そもそも今まで自分が何を求めて鑑賞していたのか、よく分からなくなった。
こんな山奥にまで足を運び鑑賞する理由はなんなのか。何を得たくて、無数にある選択肢からその作品を選び、対面するのか。
答えを求めるのは愚かだという声も聞くが、本当にそうなのか。
「みる」とは一体なんなのだろう。

《みるということ》《介入する視点(自己)》の連作。キャプションで説明をしたくないと考え、作品にテキストを埋め込む形を取った。アクリルケースがマジックミラー仕様になっており、写り込みによって作品と鑑賞者の境界が曖昧になるような効果を狙った。

介入する視点(自己)

介入する視点(自己)

2010年制作
写真、マジックミラーフィルム、他
サイズ可変

介入する視点(自己) 介入する視点(自己) 介入する視点(自己) 介入する視点(自己)

私たちは絵画や映画など何かしらの作品やものをみるとき、時間や労力、金銭などを消費する。そこまでしているのにも関わらず、私は作品をみる際に、絵画を保護するガラスケースに写る自分に目がいったり、思考が自分の事柄で満たされてしまうことがある。様々な代価を払っているにもかかわらず、対象のみを純粋にみられない歯痒さ。この抜けきれない自己はナルシシズムとも違う。《介入する視点(自己)》は、自身で消化しきれない疑問が形として浮かび上がったものだと思う。

《みるということ》を煮詰めた作品。前作品ではミラーフィルムの上に写真を貼ったため、鑑賞者自身が写り込みづらく、作品を通して鑑賞者が追体験するという目的から遠ざかっていたため、マジックミラーフィルムを使い、向こう側に写真を貼ることによって、鑑賞者がより自身と向き合う形になっている。

みるということ

みるということ

2009年制作
写真、ミラーフィルム他
サイズ可変

みるということ みるということ みるということ みるということ

美術館などで作品をみているとき、額縁や展示ケースのガラス面に自分が映るとそちらに目がいってしまうことがある。わざわざ足を運んで、時間や体力、時には金銭を使ってまでみている。それなのにふと自分の姿を確認したり、思考も自分自身のことに持っていかれることがある。そこからいろいろと考えていたら、この作品の形が思いついた。けれども、そのいろいろを言葉にすることはできなかった。言葉にできないから形として思いついたんです、きっと。みにきてくださった方には、是非、私がどうしてこれを思い立ったのか、これで一体何を伝えたいのか考えてもらえれば幸いです。さらに教えてくれれば嬉しいです。自分ではみえないことも、外からみたら案外簡単にわかるかもしれないしね。

作品を鑑賞している人物(作者)を一定の間隔で撮影したものを出力し、壁のミラーフィルムの上に貼った。
鑑賞者に思考してもらうことを目的とし、コンセプト文も作品の一部として展示した。

ある年末年始

自己紹介展

2008年制作
プロジェクター、写真、ビニール袋、甚平、他
サイズ可変

自己紹介展 自己紹介展 自己紹介展 自己紹介展

姿や経歴、数値を見せないでひとりの人間を表したらどうなるのか興味があった。
外見や名前、趣味などを教えるよりも、どういう環境(五官で感じるところ)に身を置き、どのような生活をしているかをみせた方が、知ってもらえると考え、日常で目にするもの、聞いている音、嗅いでいるにおい、触れているもの、吸っている空気、それぞれ一番身近で感じているものたちを集めて作品とした。

写真とある日曜日を一定間隔で決めた時間が来たときに見ていたものをそのまま撮って出力し繋ぎ合わせ、
一日の視点を追う形にした。
映像録音した声を他人が聞いている声でなく、自身が聞いている声(外に発せられる声+骨伝導によって内部で聞こえる声)に
加工した。
部屋着。いつも触れている感覚と、洗っていないので体臭がしみこんでいる。
空気良く居るいくつかの場所で採取した空気と自身の息。

ホワイトキューブ全体を使ったインスタレーションで、個々にタイトルは無く、「自己紹介展」という一つの作品。

ある年末年始

ある年末年始

2007年制作
写真
約50m

ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始 ある年末年始

同じものでもみる人によって全く違うものになるということに興味があった。
5分間隔でセットしたアラームが鳴ると同時に動きを止め、丁度みていた方向を狙わずにそのままカメラで写すという方法で、年末年始の生活を追ったものを、出力し1本に繋げた作品。
作者にとっては、10代最後の年末年始で、尚かつこの翌年亡くなった祖父が写る最後の写真で、なにかと特別な意味合いを持っている。
しかし、鑑賞者はそんなエピソードは知る由もなく、ただどこか懐かしさを感じる日本の正月の風景が続いている。

自己紹介

皮脂

2009年制作
ビニール、ビニールテープ、皮脂、体毛
210×210cm

皮脂(顔、手、足)

2007年制作
画用紙、セロハンテープ、皮脂、体毛
各21.0×29.7cm

皮脂 皮脂(顔、手、足) 皮脂

人。一番身近なものの一番みえているところ。しかし、それだけではみていないところ。
剥ぎ取られ浮き彫りになったそれは、果たして私たちの知るのそのものなのだろうか。
体に粘着テープを貼り皮脂を剥がして写し取り、展開図にして展示した。

profile

1988長野県生まれ
2010和光大学表現学部芸術学科 卒業
現在東京都在住

個展

2008和光大学 アートスペース 自己紹介展
2009和光大学 アートスペース みるということ
2012art space kimura ASK?P 彩りの端々

グループ展

2010BankART StudioNYK 和光大学卒業制作展 NUDE
2011眼科画廊 ART &PHOTO BOOK EXHIBITION2011
2011中之条ビエンナーレ2011 群馬県中之条町

contact

kochisamayako_paso@yahoo.co.jp

© Koyama sachiko All rights reserved.
inserted by FC2 system